「小川浩子展 " undercurrent " 」
2008.7.7 - 7.12, Gallery Q
AT Critical Words / 名古屋 覚
画廊に入った瞬間、ひんやりした空気を感じた。冷房のせいばかりではなかっただろう。後述するが、画廊の空調の半分は働いていなかったのである。やや落とした照明のためでもあるまい。展示空間は二つに分かれていた。入口に近い半分では、女の人形があおむけに天井から吊られている。画廊に立つ人のひざより少し高い辺りか。人形は暗灰色の布製で、作家の手製らしい簡素な白い服を着せられている。手首と足首を欠き、顔の表情はない。人形の足側にあるもう半分の空調ではお大型空調機のフィルターのような四角い金属の網が天井近くに水平に吊られている。これも小川の自作だという。二つの空間を統一するのは、天井全体から白い雨のように下がる無数の糸。長さはまちまちだが、多くは下に縫い針が結ばれている。針の雨。剣呑な雰囲気が体感を下げていたのか。糸は人形に絡み付き、鑑賞者の視線を乱す。網の下に位置する針の群れは、横から見ると人の立ち姿になる。その真上に吹き出し口がある空調機は「針人間」を揺らさないよう止められているのだ。
「undercurrent」「底流」 小川が好きだという、ビル・エバンスとジム・ホールの名アルバムの題名である。ジャケットには女性写真家トニ・フリッセルの作品。顔だけ水面に出して漂う白い服の女を水中から撮ったものだ。今展のイメージそのものではないか。「水」は小川の制作の、まさに底流だ。同じ画廊での2年前の個展の題は「降りつもる水」。詳細を説明できないのが惜しい。専攻していた木彫の過去の作品は「よびみず」。今回のインスタレーションでも小川は画廊に水を呼び込んだ。その水は美術家の希望と苦悩、どちらの味がするのか。屍のような、幻のような二人は誰で、何を訴えかけようとしているのか。ふり落ちる針の切っ先は、本当はどこを向いているのか?画廊を見回しても答えはない。もっと冷えた、我々の胸底を探せということだろう。
2008年 アート・トップ 223号 「超絶技巧 絵画篇」 芸術新聞社